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記事No.012 知ってどうなる!2章17・18・19話小ネタ話

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こんにちは。鈴木です。
暖かい日が続き気持ち良く過ごせますね。
今回の『来迎+α』は2章の17話・18話・19話からそれぞれピックしてみました。
今回も電子書籍3巻に掲載されているお話なので、電子書籍で読んだ後にこちらも読んで頂けると一層来迎國が楽しめるかと。今回は小ネタ多めです(笑)

それでは今回の『来迎+α』をどうぞ!


17話で公威が嘯原(しょうげん)防衛大臣から預かった指令書が本物であるかどうかを確認するための暗号コード『シルバー・コード』なるものが本編内に出てきますが、これは全くの架空の設定です。そう、こんなものは実際には存在しないッッ!!(笑)
アメリカ合衆国大統領が核兵器の使用司令を出したときに、現場でその命令が本物であるか最終確認する際に『ゴールド・コード』という暗号が用いられるのですが、シルバー・コードはこれをモジった架空の設定ですので、ウッカリ信じて人前で(ドヤ顔で)公言しない様にお気を付けください。
なお、この「プラスチックカードをパキッと折って中身の紙を確認する」という手順は、デンゼル・ワシントン主演の傑作映画『クリムゾン・タイド』を参考にしましたが、この前テレビ見たらアルマゲドンでも同じ描写があったという。
私は断然クリムゾン・タイド推しです。


18話のこの台詞、実はある作品のオマージュです。いったい何の作品か…
『敵のゲートは…下だ』
この台詞でピンときた方、正解です。そう、オースン・スコット・カードの傑作SF小説『エンダーのゲーム』(Ender’s Game)です。その映画版の冒頭で「 打ち負かせるほど敵を理解した瞬間、僕は その敵を愛しもする 」という主人公エンダー・ウィッギンの言葉が引用されるのですが、この台詞を下敷きにしながら考えたものでした。元ネタを念頭に置いて絵読むと、公威の台詞のニュアンスがまた少し違って見えるかも??


18話で公威の元へ才と共に集結した志願兵の民衆諸氏。色んな人がいますが、よく見ると(七海)千夏の右奥に中華鍋を頭に被りUFO-Tシャツを着た千夏のお父さんがいます。娘のことが心配過ぎて志願兵に参加して着いてきたようですが、果たしてUFO父ちゃんの運命やいかに?あと、才の心の師・ちちくろうさんもさり気なく混じっているのですが、この時点ですでに白旗を挙げています。なぜちちくろうさんが志願兵の中にいるのか、それは本編にてお楽しみください(^^)/
(蓮君がマダタツ袋をたすき掛けにしてるのは、中身を教えられずに才から預けられたからとか…)


何となく感じていた方もあるかと思いますが、16話前後から「文字(文章)だけのコマ」が所々見受けられるようになります。絵の上にボックスがあってそこに文章が入る表現や、強調表現として短文のみがコマで表現されることは、オーソドックスな漫画表現としてありますが、来迎國ではこれらとは異なる演出意図のもとに「文字(文章)だけのコマ」を『投影システム』と名付けて実験的表現として取り入れてみました。漫画の最大の強みである「絵で情報を伝える」という機能は半面「解釈を1つに限定してしまう」という弱点も含んでいます。例えるなら「緊張で胸が締め付けられる」というシーンを表現する際に、漫画ではそれ(キャラの状況・感情)を具体的に1つ1つ描写する(苦悶するキャラの表情・流れる冷や汗・手で胸のあたりの衣類をぎゅっと握っている演技など)ため、『誰が見てもだいたい同じ認識(=1つの解釈)』となります。これは他者との認識のズレが生まれず、即座に直感的に理解できるため、極めて効率的で読み手にストレスの少ない伝達方法といえますが、反面、文章だけで「緊張で胸が締め付けられる」と書かれたときに比べ、読み手の受け取り方の幅(解釈の自由度)がありません。本来、ある状況や感情を表現する際には「絵にして解釈を固定した方が適しているケース」と「文字のみでイメージを限定しない方が適しているケース」があるはずなのですが、漫画表現では伝統的に『なるべく文字を1文字でも少なくして絵に変換して表現する』ことが正しい演出方針であるという認識があるため、「文章の持っている特性(表現上の利点)」があまりうまく機能していない印象を受けていました。この問題点を改善するための実験的方法論として採用したのが『投影システム』です。ズレてはいけない要所は絵で表現し、それに付随するような情報は逆に文章だけにしてイメージの幅を広げる、そんな感じの表現です。
長くなりましたので『投影システム』についてはまた別の記事にて詳細を説明したいと思います。


来迎國ではWEB配信漫画ということもあって、印刷上の制約が少ないため最初から『部分カラー』を採用してきました。その中でも「爆発・爆炎」の表現に関してはやはりカラーが良い!ということを強く感じました。私はかねがね絵作りの要は『要素の粗密と対比』だと考えているのですが、部分カラーという表現はこの原則に適っているし、表現の自由度をかなり上げてくれるものだと感じています。フルカラー表現と違って、部分カラー表現では「何を・どこをカラーにしたら効果的になるか」を考えてミニマムで配色していきます。この際に「色」とは「対象の色情報」というだけではなく、むしろ「ストーリー文脈のニュアンスとリズム(テンポ)を強化して方向付ける要素」として機能します。うまく言葉で説明しずらいのですが、漫画表現における「色」の役割に関しては、もっと海外のカラー漫画表現を研究し再解釈して日本の漫画表現に取り込んでいってもいい様に思われます。


19話では上記のカットを『3ページの見開き』として作成しました。来迎國ではチョイチョイ3ページ以上の見開きが描かれることがあるのですが、これも発表媒体が紙の雑誌ではなくスマホで1ページずつ横にスライドして読むものだからこそ意味が出る表現だと思います。2ページ単位の見開きで読む場合はかえって読みにくい部分も出てしまうのですが、そこはホントもう、スミマセン。現在の漫画の基本表現は「見開き2ページで読む」ことを大前提に発達してきたものですが、もはやその表現技法と実際の消費され方が合致しない部分が大きくなってきていると感じる今日この頃。より効果的で新しい表現を開発できるよう、今後も実験的表現にバシバシ挑戦していこうと思います!何より新しい実験は楽しいし!(笑)


「多摩川の合戦」にて四ツ手軍を指揮している金色の鎧を着た四ツ手は、実は天聖皇國軍の将軍の一人であり、四ツ手世界の第五皇子という設定でした。(この辺については三章で四ツ手世界の状況を描く際に諸々説明を入れるつもりでしたが、そこまで行きつけなかったという…。。)で、その皇子の直属部隊がクロ率いる『羌賤隊(きょうせんたい)』です。多摩川の合戦では、戦車による橋脚砲撃を阻止すべく斬り込み部隊として才達を急襲してきますが、羌賤隊は四ツ手軍の戦力として精鋭部隊の割に捨て駒の様な扱いを受けています。これは四ツ手の世界に厳格な身分制度があり、羌賤隊の一族は最下層の被差別民出身者であるためです。


というわけで、今回の『来迎+α』はここまでとなります。また次回をお楽しみに!

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