今日は。鈴木です。
そろそろ桜が咲いてきたりと、春の訪れを感じる季節となってきましたね。
3月は忙しさにかまけて、久方ぶりの『来迎+α』の更新となってしまいましたが、隙間を見つけて今後も記事を書いていきますので、どうぞ空き時間にでも読んでやってください。
それでは今回の『来迎+α』をどうぞ!
このカットは鈴木がキャラ作画および画面設計・監修をし、作画チーフの岡田ケンジさんが渾身の力で背景を描いてくださり、その上に玉野君が120%の力で色を塗り上げてくれて完成させた、来迎スタッフ渾身の1カットです。鈴木個人としても、自分の頭の中にあったイメージを余すところなく再現できたと感じています。内容は東日本大震災における津波の被災地を扱っており、とても悲しく、辛い絵ではありますが、私たちがこのカットに込めた想いは『日常が根底から奪われる絶望/虚無』であり、具体的な事件を緻密に描写することで、その裏に見える『生きることの普遍的悲しみ』を表現しようと全力で取り組みました。このカットは非常に多くの想いを乗せて細部までこだわって製作いたしましたので、ぜひマンガワンのアプリ上や単行本でじっくりと見ていただきたく思います。
「ガガガッ」と音を立てているこの機械については漫画本編内では一言も説明していませんが、これはガイガーカウンターという設定です。公威が夕珠悧の誕生日の記念旅行として、夕珠悧と両親に宿を手配してあげた場所は福島県の第一原子力発電所に比較的近いところ(実在の場所を想定)という設定で描かれており、公威が在韓米軍基地から輸送機に乗って横田(東京)に来た際にその身を案じた知人がくれたものでしたが、公威自身、被災地の惨状を見たときから、もはやガイガーカウンターの示す数値には全く意識がいかない状態となっていました。結果、公威はかなり高い線量の外部被ばくをしてしまい、そのために生殖機能に不全をきたしてしまったという設定になっています。
このカットではうずくまる公威の手前に、「倒れて割れたカーブミラー」と「折れ曲がった遮断機」がやや不自然な配置で描かれています。これは『ここより先は死者の世界であり、この先に進むことは許されていない』ということを暗示するための演出です。このカットをネームで書いた時点では、背景の具体的な演出方針が浮かんでいなかったのですが、原稿作画のための打ち合わせを玉野君としたときに、「何か死を連想させるアイテムが必要な感じがする」という事を言ったら玉野君が「鏡はどうか」と言ってくれたのがきっかけとなって思いついた演出でした。最終的に「割れてくすんだ鏡」「ドアノブの付いた壊れた扉」「折れ曲がった線路の遮断機」という小物を画面に入れ込むことで【死】を暗示し、同時に【生者と死者の境界】も隠喩として示すことで、公威が今ギリギリの『精神的な死の際』にいることを表現しました。
14話最大の見せ場となる、連続6カットの『舞』のシーンです。この部分はネームで書いた時点では担当編集のNさんからは「意味が分からないし長すぎるから読者に不親切だと思う」と言われてしまったのですが、どうしてもこれを描きたかったので連載始まって以来最大級のしつこさで粘りに粘って説得してOKをもらいました(笑)。ここをどう描くかの打ち合わせた際にNさんから「①残像っぽくして絵をつなげて描けばもっとページを圧縮できるのではないか」というのと「②台詞が(古語なので)何言ってるか分からないから現代語訳を付けるか、逆に古文書みたいに文字をかすれさせたりして演出要素っぽくして目立たせなくするのはどうか」というアドバイスを頂いていたのですが、この2点を鈴木的な(勝手な)再解釈で取り入れて完成したのが今の原稿となります。①に関しては、もともと1ページに1ポーズで全6ページのネームでしたが、ページ数を削るのは全力で反対だったのでそのままとし、『残像表現』を動きを繋げるための表現ではなく『時間と念(想い)が堆積していく表現』として意味を読み替えて取り入れました。②に関しては、もともと台詞部分(古語の謡)は読ませるつもりで描いていなかったので『文字をかすれさせる』というアイデアを『風に流されちぎれちぎれにに弱く漂う想い』という風に読み替えて取り入れました。結果、とても面白い表現になったと思っています。これぞ怪我の功名、棚から牡丹餅…っていうんですかね?
そもそもこのシーンは『受け入れ難いほどの強烈な念(想い)を鎮魂(舞)によって受け流し、事実として受け入れ哀しむ(受肉化する)』という人間の心の作用を表現したくて考えついた表現でした。自分の判断ミスで夕珠悧を死なせてしまったという受け入れがたい事実を前にして、公威は舞わざるを得ないのです。もし、ここで公威が鎮魂の手立てを持たなければ、彼は精神的に崩壊していたでしょう。公威を精神的な死から救たのは、彼の生活の中にあった『古典的感性と手段』でした。舞うことによってのみ、公威は夕珠悧の死を受け入れることが可能となった。それ故に舞が終わると同時に公威は泣き崩れるのです。目からは血の涙を流しながら…。
なお、この舞のシーンの謡(うたい)は『蝉丸(せみまる)』というお能の中の、別れを惜しむ姉・逆髪と弟・蝉丸の台詞です。公威と夕珠悧はこの兄弟の転生した姿として描きました。今生の生では公威=逆髪であり、夕珠悧=蝉丸なのです。それ故に公威は髪が逆立ったデザインとしており、また夕珠悧は目が見えないのです。この姉弟にいつか別れの来ない生が来ることを望まずにはいられません。
啓果和尚が公威に語った「道を選ばねばならぬ時が来る」という台詞。じつはこれが来迎國2章の中心テーマなのです。2章は【戴冠・苦界者たちの死闘】というタイトルでした。この中の『戴冠(たいかん)』というのは「王様が冠を頭に頂き即位する儀式」のことです。これに加え、13話冒頭で書かれた「仏陀が受けた予言」を併せて考えると、啓果和尚の台詞の意味が見えてくるのではないでしょうか。そして問題の「時」というのが15話以降で公威の前にやってくるのですが…。そんな辺りも視野に入れつつ来迎國を読んでもらえるとより楽しめるのではないかと思います!
というわけで、今回の『来迎+α』はここまでとなります。また次回をお楽しみに!
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