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【来迎國 / らいごうのくに】企画コンセプト

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【来迎國 / らいごうのくに】の企画コンセプト


今日は。鈴木です。

今回の記事では、新連載漫画【 来迎國 / らいごうのくに 】の企画コンセプト(の概要)をお話しようかと思います。
企画のコンセプトをご理解いただけたら、このフォーマットを使って今後私たちがどのような物語を物語ろうとしているのかご理解いただけるかと思いますし、マンガワンで【 来迎國 / らいごうのくに 】を読んだときに見え方が少し違って楽しめるのではないかと思います。

まず、このお話の最大の骨格は『戦争体験を通じた国造りの物語』である、というものです。
現実の日本の歴史を紐解いても、日本人はいくつかのタイミングで『国造り』を行ってきました。私の考える国造りとは、その国に暮らす人々の基本的価値観が特定の短期間でガラリと変わりその変化が継続的に固定化することです。中心価値が変われば社会制度も変わり、政治体制なども大きく変化します。しかし、その変化はやはりいつの時代でも「人」から始まります。既存の価値観と異なる価値を行為と言葉で体現できる「特異な個人」が現れ、しかもそれが社会の縁起と相まって多勢に受け入れられたとき、新たな国造りの萌芽が芽生えるのです。

中国の王朝などで顕著な様に、通例、新たな『国造り』が行われた場合、新国家(現行王朝)は自分たちの正当性を主張するための歴史書を編纂します。日本で考えるなら古くは「古事記」(や日本書紀)であり、近くは「大日本帝国憲法」などが意味合い的にそれに該当すると言えるでしょうか。いずれにしても新たな国造りが行われる時代は、必ず激動の時代であり、多くの場合「戦争」を伴います(侵略戦争か内戦、武力革命などいろいろあり得ますが)。
この非道で無情な厄災を潜り抜けた時、「新たな価値観」は其れに関わった人たちの血肉として身体深くに染み込むように私には思われるのです。もちろん、この「其れに関わった人たち」とは望んでその混沌に加わった人もいれば、運悪く巻き込まれた人のどちらも含まれており、それぞれの体験から来る評価(+であれ-であれ)を加えたうえで「新たな価値観」を内面化する、という意味です。

私は10代の頃から、動物としての人間、というものに深く関心がありました。人間は初めから「人間」なのではなく、「ニンゲン」と表記されるような限りなく動物に近い存在として生れ落ち、経験と学習によって「ニン間」になったり「人ゲン」になったりしながら、次第に「人間」になるのだと思います。しかし、どんなに完璧に「人間」になったとしても、人はその下層に「ニンゲン」を併せ持っている、決してその動物性は消え去らない様に思われるのです。これは具体的には「食欲」や「暴力」、「性」「睡眠」「生存への執着」「不合理な情動」「他者へのマウント」「異質なものへの嫌悪」などなど…キリがありませんが、そういった類の「生臭い」感覚のする物のことです。
これらの「ニンゲン的なるもの」は、今の社会では特に「ネガティブなもの」として扱われたり、「そもそも存在しない」かのように扱われている様に私に感じられます。1995年と2011年は(近年の)日本の社会・文化的文脈ににおいて大きな転換点でしたが、これらを通過するたびに「ニンゲン的なるもの」が社会から意識的に無視・排斥される傾向が強くなったと思います。そしてこのことの反動は、現在の私たちに「身体性を忘れさせる」という姿で強烈なブローバックを引き起こしています。
全ての物事を「情報(=文字化可能なもの)」として捉え、安易に「パターン化・カテゴリー化」し、物事の時時刻刻な変化を見通す力は薄れ「組み合わせ」でしか差異に気づけない、という現代人の特徴も、「身体性」というフィルターを介して世界と対峙していないから引き起こされる現実認識の弊害と感じます。
つまるところ、私の定義では身体性とは【存在する物事を極力ありのままに認識する力・物事の連続性(因縁縁起)を非言語的に察知する力】とでも言えるでしょうか。

とにもかくにも、私個人の経験から明確な確信を持って言えるのは「人は身体性を失うと、自ずから本来の幸せから遠ざかってしまう生き物だ」ということです。


さて、長い前置きになりましたが、【 来迎國 / らいごうのくに 】という企画のコンセプトは、つまり『「身体性」という価値観を取り戻しながら、それを「中心価値」に据えて皆で新しい国造りをしたら、私たちはどのような社会(の道徳観・制度)を作ることができるのか』を問う、という巨大な思考実験をやってみよう!というものなのです。


このコンセプトを物語で表現するには、以下の点が必須となりました。

(1)身体性と向き合わざるを得ないような条件下での戦争をする(中世レベルの技術水準での戦争)

(2)主人公は極めて現代的でありながらも、特異的に鋭い身体的感性を持ったキャラにする

(3)「国造りの物語」=ある種の歴史書、であることが感じられるフォーマットを組み込む


上記3点の制約から、考案された物語の方針は次の通りでした。

【1への方針】敵は中世の科学技術水準とし、日本全土を空間的に封鎖(海外から軍隊が支援に来れない・補給が受けれない)、その上で自衛隊と在日米軍を
       機能させない様にして近代兵器を使わせない。

【2への方針】現代の男子の特徴は「ネットに繋がりっぱなしの反面、リアルな人的関係では他者と繋がれないこと + ポルノに接触する機会が極端に多い」と
       『男子劣化社会』(フィリップ・ジンバルドー/ニキータ・クーロン著)という本で分析されていたのを読んで「これだ!」と思い、主人公の
       才を引きこもりネットオタク+人との関わり方を知らない若者+下ネタを連呼する下品なキャラと設定し、反面、常に生死をかけた状況下で
       身体能力を鍛錬し続けなくてはならない人生、と設定。

【3への方針】主人公「才」という名前は白川静先生の学説の中核である「サイ(神の言葉を入れる小さな器)」から取って、題字も「金文」という
       古代中国の青銅器に記されていた古代文字を使用(ちなみに作品題字は中国の書家・張大順/チョウタイジュン先生に作成していただきました!)。
       し、各話の副題は「古事記」から抜粋。
       などなど、コンセプトに沿いながらも随所に「歴史的エッセンス」を採用。

張大順先生に書いていただいた題字。【来迎國】を古代文字(金文)で表記するとこのようになります。

         

もっと沢山のコンセプトや設定・伏線などご紹介したいことは山ほどあるのですが、今後少しづつ記事にしていくとして、今回はここまでとさせて頂きます。このコンセプトを知った上で漫画を再読いただけますと、二周目には何か新たな発見があるかもしれませんので、宜しければもう一度マンガワンにアクセスしてみてください!

それではまた次回更新時に。

                                     鈴木智

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